新型コロナ緊急事態宣言で、休みの日は外出自粛中の「ちょっと懐かしいシリーズ」公開。今夜も公開しちゃいます。前回は高崎運転所の12系和式客車「くつろぎ」だった流れで、第二段はやっぱこれでしょ。

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「くつろぎ」と同じ高崎運転所に所属していた12系和式客車「やすらぎ」。

国鉄末期の昭和61年に国鉄大宮工場で改造された「やすらぎ」は、同じ和式客車のくつろぎには無い「展望席」が設けらました。そして全廃の予定だった高崎のEF60の19号機を、「やすらぎ色」に塗り替えて専用機として登場した時、その当時のテツな方はビックリした方も多かったのでは。

高崎に2本の和式客車が配備されていたのは、団体旅行の需要が多かった土地柄なのでしょうね。なので、やすらぎ3両+くつろぎ6両+やすらぎ3両の12両編成で運転されることも時々ありましたね。そして高崎地区の私鉄「上信電鉄」や「秩父鉄道」にもシーメンスやデキに牽引され乗り入れた事もありました。

写真は山手貨物線、目白駅横を通過するシーン。昭和62年8月30日撮影。

この場所は国鉄時代の目白貨物駅の跡地で、貨物を扱う側線が撤去された後の空き地は、都内では「ちょっと引いて撮れる」お手軽な場所でした。今思うとこの場所は「ちょい乱入」だったのかな?もう時効ですよね(^^;)

この日はヘッドマーク付きでやってきたロクマル19、結構カッコイイじゃん!と、テンションアップしたことを今でも覚えています。ヘッドマークを拡大すると「伊豆熱川の旅」と書いてあります。オレンジ色の部分は伊豆半島で青い部分は海なんですね。ロクマル19は何処まで牽引したのかな?まさか伊豆急まで乗り入れた?なんて記憶無いから、品川でPFにカマ替えしたんでしょうね。

高崎の2本の和式客車、テツ仲間の間では、くつろぎが高座A、やすらぎが高座B(逆だったかな?)なんて呼んでたっけなぁ~。時代は昭和から平成に移り徐々に団体旅行の需要が減り始め、客車自体の老朽化もあり、やすらぎは2001年(平成13年)引退しました。