2018年11月

先月平成30年10月6日、長らく東京の台所として親しまれて来た「築地市場」が豊洲に移転して、その長い歴史に終止符を打ったのは記憶に新しいですね。

その築地市場には、約30年前までは汐留貨物駅から築地市場(駅名は東京市場)まで貨物専用の線路が敷かれていて、九州や東北地方から築地市場行の鮮魚貨物列車が運転されていましたが、徐々に鉄道貨物輸送からトラック輸送に変わっていき、その当時大赤字だった国鉄最後の昭和61年11月ダイヤ改正で全国の貨物列車はコンテナ列車等の拠点間輸送に切り替えられ、築地市場への貨物線も廃止になりました。

いまから32年前、その築地市場貨物専用線が廃止になる直前に走った団体お座敷列車
「さよならつきじ市場号」の事を10月6日にブログに書きましたが、今日はその続きで、その当時撮影した写真をネガからスキャンして公開しますね。



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当時は年4回季刊発行だった「鉄道ダイヤ情報」。撮りテツを始めた頃の1986年秋号の団体臨時列車運転予定表を目を凝らしてチェックしてると、南シナ「江戸」の欄に「東京市場」という見慣れない駅名が目に留まりました。

団体名は「お座敷列車で行く築地市場味覚の旅」で、何の変哲もない団体名でしたが、東京市場へ江戸が入るって珍しさで撮影に出掛けたと記憶しています。

ダイヤ情報誌によると東京市場発車は8:00、品川からの回送時刻は載って無くて、当時はインターネットなんて無いからどこで撮れるか情報も無かったので、とりあえず築地市場へ行けば何とかなる!って思い一つで、地下鉄日比谷線に乗って築地駅には早めに7時前には着いていたと記憶しています。

駅前の新大橋通りをあてずっぽうに歩いて行くと大きな踏切が見え、踏切から市場にもう停車してるDE10に繋がれた江戸の姿が見えました。市場の中までどうやって歩いて行ったか記憶にないけど、部外者が入っちゃっていいの?って罪悪感を感じたけど、市場の人に「入っちゃダメ」て声かけられた記憶は無いし、当時はまだ20代で若かった勢いでズカズカと市場の中まで入って行ったんだろうなぁ~(^^;)



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12系お座敷列車「江戸」の最後部の所まで乱入していました(^^;)
東京市場駅は長い編成の貨車が停車出来るように、ホームは弧を描いた形になってるのが特徴ですね。線路は3本敷かれていて、そのうち一本は機関車の機回し線です。

しかしここで一つ疑問が。
なぜホームが無い中線に停車してたのでしょうね?

ホームがある線路は急カーブだから、貨車より長い全長21メートルある12系客車は、ホームと干渉してしまうからかな?。それとホームが無い線路から、お客さんはどうやって乗車したのか?今となっては謎です・・・。




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改めて少し望遠レンズで撮ってました。牽引機は品川機関区のDE10 1509で、
さよなら つきじ 市場号 のヘッドマーク付き!

団体名と違うヘッドマークが付いていて、ビックリした記憶があります。
青地にシンプルなデザインのヘッドマークは、朱色のDE10に映えてイイですね!

背景の倉庫群の感じや、この日は朝早かったからか朝靄が掛かっていて、東京の真ん中って感じがしない臨港線的な独特の雰囲気を醸し出してますね。




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発車のシーンは、踏切に戻って撮影してました。




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ヘッドマークをギラリと輝かせ、新大橋通りの大きな踏切をゆっくりと渡って行きました。踏切の遮断機は、今では見かける事が少なくなったケーブルが上下する形態ですね。この手の踏切は踏切警手小屋がそばにあって、人が遮断機ケーブルを操作するのが一般的だけど、1日に数回しか列車が通らなかったこの踏切に、踏切警手小屋があったかどうか?写真に写って無いので今となっては分かりません・・・。

それと写真撮ってる立ち位置ですが、遮断機の内側の様な気が・・・。
まさか踏切の内側に入って撮影するようなことは絶対しないし、もしそうだとしたら列車は緊急停止しちゃいますよね。もしかしたら、遮断機ケーブルは、車の進行方向側にしかな無かったのかもしれません。



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踏切から、江戸の後姿を。線路はこの先1キロほどで汐留貨物駅の構内へ。草が生えた線路が若干上り勾配になってるように見えます。江戸の後ろに見えてる建物は昔の郵政省東京南部小包集中局で、再開発が進みこの辺り風景はだいぶ変貌してしまいましたが、今は局名が銀座郵便局に変わりましたが、建物は昔のまま現存しています。

展望室でビデオ撮影してる方の姿が見えるけど、私の姿も映ってるのかな(^^;)


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カーブしてる辺りには鉄橋が掛かっていて、築地川を埋めて作られた首都高速を渡ってました。ここは鉄橋を渡る為の築堤になっていたのですね。

江戸はこの後、品川から山手貨物線を回って、田端ソから常磐線へ入り水戸へ向かったので、山手線の巣鴨へ先回りしてもう一発狙いました。



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牽引機は品川でDE10からEF5861にバトンタッチ、田端ソから先常磐線内はEF81が牽引しました。当時絶大な人気物だったロクイチことEF5861にはヘッドマークが付かなかったのが残念・・・。



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さよならつきじ市場号の運転予定が載ってた鉄道ダイヤ情報1986年秋号。

引っ越しの際、買い溜めた雑誌の半分ぐらい処分してしまいましたが、偶然この号だけは保存してました。当時、撮影に行こうと思ったネタには蛍光ペンでチェックしてたんですね。鉄道ダイヤ情報誌は、この号までは年4回発行の季刊誌でしたが、翌号からは毎月発行の月刊誌に生まれ変わりました。

30年以上前の事を記憶を頼りに記事にしましたが、写真を見ていると当時の事が懐かしく思い出さされますね。インターネットも、コンビニも、ペットボトルも、湘南新宿ラインも無い時代だったけど、毎日楽しかった気がするなぁ~・・・


東急池上線・多摩川線で最後の活躍を続けていた7700系電車。昨日11月24日(土)さよならイベント列車が運転され、東急電鉄の営業路線から引退しましたね。

地下鉄日比谷線に8両編成で乗り入れていた7000系時代には大変お世話になった電車なので、きちんと最後のお別れをしたい所でしたが、最終日は大変な事になりそうなので私は撮影に出掛けませんでした。

今から3年前に、ダイヤモンドカット7600系が引退する時に、池上線・多摩川線に撮影に通った時、まだ沢山走っていた7700系をついでに撮っていたので、まっいっかなぁ~って感じでした。その時の写真をちょっとだけ。


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7700系引退に寄せて、今回は営団地下鉄日比谷線に乗り入れていた頃の7000系の写真も公開します。


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日比谷線南千住駅に到着する菊名行。東急の乗り入れ車が1000系に置き換える間際の平成2年夏ごろ撮影。7000系時代は冷房装置が無かったので窓が全開です。5両目に赤帯がチラッと見えてるので4+4の編成ですね。この頃はまだ隅田川貨物駅にはセメントサイロが健在で、現在は背景に高層マンションや大型商業施設が立ち並んで、周辺の光景は様変わりしています。




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ちょうど反対側から置き換え車の1000系が入線してきました。7000系には元々赤帯は無かったのですが、1000系が登場した頃から7000系にも1000系と同じ幅の赤帯を入れられたと記憶しています。




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こちらはもっと古い写真で、北千住駅の折り返し線から入線してくる日吉行。



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北千住駅で1982年(昭和57年)に撮影した「電車とバスの博物館」オープン告知マーク付き電車。電車バスの博物館は東京急行電鉄創立60周年を記念して、田園都市線高津駅高架下に昭和57年4月にオープンしました。

Hゴムはまだ白ゴム時代ですね。このマークは確か1編成にしか付いてなかったと思うけど、これが来るまで駅で待ち続けた記憶は無いので、鉄道ファン誌にでも運用が載ってたのかな?

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東京ミッドタウン日比谷のイルミネーションが綺麗です!

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東京メトロ綾瀬公開イベントに来てます。
今年は5000系・6000系・7000系の並びです!

あす11月18日(日)は、東京メトロ綾瀬車両基地の公開日ですね!


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メインはもちろん、先日引退した6000系ですよね。
どんな形で展示されるのか、今から楽しみですね!

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